こんばんは、山本謙吾です。
いやー始まりましたね、「だが、情熱はある」。
日テレのドラマです。
南海キャンディーズの山里さんとオードリーの若林さんのユニット「たりないふたり」の半生をジャニーズの子が演じる作品。
面白いです。面白いんですけど、時々刺してくるんですよね。
第一話で、高校生の山里さんが言う、「何者かになりたい」。
めちゃくちゃ分かるんですよ。
僕も中高、その後と、ずっと何者かになりたかった。
劇中の「何者」というのは
「好きな人に面白いと思われること」
「人より少しモテること」
「芸人になること」に
都度都度、変化していきますが、
その感じも分かります。
僕も面白いと思われたかった。
モテたいは・・・あの頃はあったかな?
モテたいというより、自分の事を好きな人を見つけたかった。
あとはこれよく言うんですけど、中学生の頃の自分を笑わせたかった。
こんな感じの抽象的な夢や希望を叶える為に何になればいいか分からなかったから、何者かになりたいって表現なんですよね。
それを叶えるのは多分芸人なんじゃないかな、だからとりあえず芸人になろう、なんですよね。
こんな感じで、共感、いや共鳴してるんですよ。
あの頃の僕が。
ドラマの面白さのバロメーターの一つとして「共感」って大きいと思うんです。
だから当然、面白い。
だけど、両手あげて面白いだけで済まされないんですよね。
それって何なんだろうなぁ、と思ってたんですけど、
アレですね、山里さんは結果何者かになってる事を知ってるからですね。
あの頃の僕と考えている事が似ていて共感するけど、出口が違う。
向こうは何者かになれるサクセスストーリー。
かたや、現実の僕は未だに何者にも成れていない。
だからずっと付いて回ってるんですよね。
「それ分かる!でも、この人最終的にあの山里亮太になるんだよな」って。
「お前とは違う」って事が刺してくる。
僕には結婚して妻がいて、娘がいます。
二人とも今の所僕の事好きでいてくれるので、やっていけています。
けどやっぱ、今以上に何者かになりたい。
二人のためにも。
自分のためにも。
それを突きつけられる。
まぁ、だから「だが、情熱はある」は
僕にとって、
ヤクルトとかカルピスみたいな乳飲料ですね。
美味しいけど、なんか飲んだ後、喉がイガつくんですよね。
何度も言いますが、面白いんです。
でも、それだけじゃないんですよね。